【 audelàma 】
水平線によって海と空が二分された鶏卵紙の写真シリーズ『audelàma』は、『見る』とは何か、を問いかける試みです。時間や場所、天候によって、海も空も絶えず変化し、多様な姿を見せてくれます。目の前に広がる水平線は、はるか彼方へと続く境界に見えますが、その時、果たして何を見ているのでしょうか?私の目は、ただ望んでいるようで、無意識のうちにその彼方に、意識がとらわれていきます。視界を漂わせるように眺めていると、心の赴くままに空想が広がります。そしてふと我に返る瞬間、遠く空のはるか先と、近く砂浜に打ちつける波音が融合する情景が立ち現れるのです。心と目の焦点がふいに重なり、現実と感覚が交錯する。それは、まるで私自身が海そのものに溶け込んでいくような錯覚です。
この作品での水平線は、遠くと近く、意識と無意識、それらが交差する「間」として存在します。その水平線に視線を置くと、ふと問いを抱きます。「私は何を見ているのだろう?」と。 海を眺めていると、意識は過去や未来、現実と非現実を行き来しますが、「今ここで海を見ている私」という認識、さらにその認識を意識する自己が存在します。それは、まるで私ではない別の何かが私と海を共に臨んでいるかのような感覚です。 ただ、自己を観察し続けることは容易ではありません。意識が途切れると、新たな視線の流れが生まれ、私の無意識は特定の部分に焦点を当て、世界を形作ります。その視線は、海と空、そしてその間にある水平線を漂いながら、私をいつの間にか新たな風景へと誘います。 こうして「見る」という行為は、単なる目の働きにとどまりません。心や記憶、想像、無意識が織り交ざり、複雑なプロセスを生み出しているのです。水平線は、そのプロセスをそっと浮かび上がらせる存在なのです。
「audelàma」というタイトルには、「その先を見る」という意味を持つフランス語“Voir au-delà”と、海と空の「間(あいだ)」に漂う静けさ、そして日本的な感覚である「間(ま)」の概念が組み合わせています。 鶏卵紙の制作では、撮影地である種子島の海水から塩を抽出し、卵も現地のものを使用することで、その土地特有の風合いを作品に取り入れています。この独自のプロセスは、数年間滞在した島での撮影という背景とも結びつき、場所へのリスペクトが込められています。セピア色の統一された色彩での仕上げは、観る方の感覚や想像力を呼び覚まし、内面的な探求の旅へと誘う存在になればと思います。
水平線という普遍的な景色を通じて、「見る」という行為の奥深さをそっと照らし出し、意識すること、存在すること、そして自己との対話へと誘います。この小さな写真のシリーズが、心のどこかに残り、ふと視線を漂わせる瞬間をもたらす存在となれば幸いです。
~2024