2023 - 2024


01:18  _  #1  From Start to a Typhoon Day

06:44  _  #2  Restart

13:26  _  #3  Many Trial and Error

21:56  _  #4  The Last 10 Days 

2020 - 2021


【 桃と月の葉 】

 

 

1. 「対話の始まり」

“在る”を問い直す出発点

 

湿った土の香り、風に揺れる竹、山の斜面に沿って伸びる木々。この森に訪れる者は少なく、時間に忘れられたような場所だ。その静けさの中には、一見すると永遠に変わらない風景が広がっている。しかし、よく見ると、それは循環の一部として息づき、微細な変化を刻んでいる。

木々や草花はただそこに在る。ただ自然が在ることに魅力を感じる。誰に見られなくとも、何かを主張することもなく、ひっそりとその場所を形作っている。それらの存在は私たちが目を向け、認識する瞬間に初めて意味を持ち始めているのだろうか? 認識されることが、存在に意味を与えるのだとしたら、森が「在る」ということ自体もまた、私たちの目によって初めて形作られるのではないだろうか。この問いが、この作品の出発点である。

 

森の中に人工的な物体を作る行為は、一見不自然に思えるかもしれない。しかし、森を素材とし、その土地に還ることを前提とした構造物は、自然との循環を形にする試みだ。そして作られた物がカメラとして機能することで、この土地が「見ている」景色を記録する視点が生まれる。これは、森そのものが観察者であり、時間や空間を映し出す存在としての役割を果たすだろう。私たちが目にするもの、認識するものとは異なる視点がそこには存在するのではないか。

このプロジェクトは、森の一部を借り、再構築し、そこに目を向けるための行為である。森が持つ記憶や物語を引き出し、それを私が体験する場を創り出す。森に在るものをただ写し取るのではなく、私が感じた時間と空間の記憶を、共有するためのプロセスである。

 

 

 

2. 「森に生まれる写真機」

自然の一部として機能するインスタレーション

 

時間や天候、季節によって、森は絶えずその表情を変え、多様な姿を見せてくれる。私は、そんな森の中で1年かけインスタレーション作品を制作した。自然の中での制作は、単に何かを「作る」行為にとどまらず、「作ること」と「壊れること」の境界を意識せざるを得ない体験でもあった。構造物を組む際、私は土を運び、枝を切り、落ち葉を集めた。これらの行為は、新しい形を生み出すための「作る」過程でありながら、同時に自然の現状を「壊す」行為でもある。しかし、その行為は特別なものではなく、むしろ森自身が繰り返してきた営みに近いとも言える。風が枝を落とし、雨が地形を変え、さらには台風が訪れた際には、制作中の構造物が半壊するなど、森は絶えず自らを作り変えている。その中で、私の制作もまた、自然のサイクルの一部であると感じた。

そして森で作業を進める中で、「森が私を見ている」という不思議な感覚が芽生えてきた。自然に向き合う中で、自分自身の行為が森に映し出され、それを通じて私自身を見つめ直す感覚があった。森の中にいることで、私はその一部となり、私の行為を記憶し、映し返す鏡のような存在に思えた。制作プロセス自体が私への作品であり、素敵な時間であった。

 

完成した立体物は、森に生まれた人工物として際立ちながらも、森と調和する不思議な感覚を生んだ。この違和感は、この空間が存在していると明確に認知させる。

内部に足を踏み入れると、天井の小さな穴から光が取り込まれ、床面に森の像がぼんやりと映り込む。これはピンフォール構造で、この土地自体が写真を撮っているような感覚となり、森が見ているものを“体感”するインスタレーション作品である。緑の葉がうっすら暗闇の中に浮かび上がり、外の景色と内側の空間が曖昧になる体験だった。ひんやりとした内部は、まるで月明かりの海底にいるような静けさを漂わせていた。

さらに、この完成の瞬間が終点ではなく、時間とともに朽ちていく過程もまた作品の一部である。立体物は徐々に崩れ、森の材料として再び自然へと還元されていく。その変化の中にこそ、自然と共に創造するという意味が宿っている。

 

そして、この制作から生まれたのが、このピンフォール機能を使った青写真と、制作過程や完成時の姿、朽ちていく姿を森の葉に印刷した作品群である。これらは森での出来事の単なる記録ではなく、森との対話、時間の流れや自然の変化、循環を視覚化した表現である。

 

これらの制作過程・インスタレーションの風景は映像作品としまとめた。そして、森という場での体験を新たな形で残す試みとして、この制作から生まれたのが、このピンフォール機能を使った”青写真”と、制作過程や完成時の姿、朽ちていく姿を森の”葉”に直接写真を焼きつけた作品群である。これらは森での出来事の単なる記録ではなく、森との対話、時間の流れや自然の変化、循環を視覚化した表現である。

 

 

 

3. 「青写真と葉に刻まれる記憶」

光と影の記録と自然の循環を表現する試み

 

青写真(サイアノタイプ)は、光と影の関係を直接的に写し取るものであり、ピンフォーカメラとなった立体作品の内で使用した。森そのものが観察者であるかのような感覚を持ちながら、光と影の表情を布の上に固定するプロセスは、自然が刻む時間の流れを一枚の青に集約する行為でもあった。青写真に表れる濃淡は、差し込む光の強さや移ろいを記録しており、森という場そのものが持つ時間と空間の堆積であり、森との対話の痕跡である。布に残された像は、制作完成時を固定する一方で、森の奥深い記憶に触れる感覚を呼び起こす。

 

葉の作品には、この森に自生していた月桃の葉を使用した。葉は切り取られた瞬間から変化を始める「生きた素材」であり、その特性を活かして制作を進めた。光合成の仕組みを利用し、人の日焼けのように葉の表面に像を焼き付けるプロセスは、自然そのものの力を活用したものだった。この手法はポジフィルムを葉に密着させガラスで固定し、押し花の要領で挟み光を当てることで葉の表面に像が浮かび上がる。それは、葉が観測者となり、森での出来事を自ら記録するかのような存在感を帯びる。葉に記録された像は、時間とともに変色し、薄れ、やがて消えゆく運命をたどる。これは自然の循環を映し出すと同時に、記録そのものが生きたものであることを実感する。

 

これらの作品は、森そのものが「見る」存在であり、「記憶」を宿す存在であるという考えに基づいている。ピンフォールによって森の視点を絞り込み、それを青写真として定着させる。さらに、葉に像を焼き付けることで、私の活動や体験を月桃の葉が観測し、記録しているような感覚を引き起こす。

重要なのは、これが森を擬人化することではないという点だ。森はただ「在る」。その存在を私たちが認識できるかどうかが問題なのだ。地球という地面に円を描けば、内側も外側もない。内と外に分けるのは私たちの視点に過ぎないのだ。見られる存在と見る存在の関係もまた、在ることも無いこともも、私たちの認識が生み出すものである。

 

森での制作は、私と森が互いに観察者であり、同時に観察される存在であるという関係性を築く場であった。森を背景や舞台ではなく、対話の相手とすることで、自然との循環を形にする作品が生まれたのである。

 

 

 

4. 「むすび」

“存在”と”認識”の場

 

このプロジェクトは、森という場を通じて、自然と人間の視点が交わる瞬間を形にする試みだった。森そのものを素材に用い、人の手で作られた物が自然の中で新たな役割を果たす。その過程で、観察者としての森の存在を浮き彫りにすることを目指した。

森での制作活動は、私自身の認識を深める行為であり、その視点を作品を通じて他者と共有する場の創出だった。この作品を通じて、森が単なる背景や舞台ではなく、観察し、記憶し、時間と空間を映し出す主体的な存在であることを示したいと考えた。

 

ピンフォールカメラとしての建築物は、森が「見る」存在であるという視点を具体化した。その内部で記録された青写真や、月桃の葉に焼き付けられた像は、自然そのものが時間や光の変化を記憶する行為を象徴している。それらの作品は、単なる映像や形として存在するだけではなく、自然の時間と循環がもたらす力を私たちに再認識させる。

さらに、制作活動そのものを映像として記録することで、この作品が単なる結果物ではなく、森との対話のプロセスそのものであることを伝えた。完成したインスタレーションが自然と共鳴し、やがて崩壊していく過程も含め、全体が一つの生命体のように存在する。これにより、自然の持つ循環や時間の流れに対して新たな視点を提供することができた。

 

最終的に、このプロジェクトは一つの問いに立ち返る。「自然は存在そのものであるが、私たちがそれを認識することでどのように意味が生じるのか?」。森に形を与え、視点を通してそれを共有することで、この問いの答えを探る一歩を踏み出せたのではないか。森と人間、そしてその間に生まれる関係性の中に、まだ語られるべき物語が残されている。

NEW WORKS



このサイトは写真家/アーティスト:氷森 記心 (ひもり きしん) のオフィシャルサイトです。

This is the official website of the photography artist KISHIN HIMORI.



氷森 記心   KISHIN HIMORI   アーティスト / 写真家    Artist / Photographer

Kishin Himori is an artist who works in photography. Creates artworks on the themes of “the consciousness of existence or non-existence” and “the shape of lives”.

He uses a unique expression method utilizing photographs, and experimental techniques including digital and classical. He is striving to look beyond the surface by making visuals that may not have a visual component. 


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